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【別れの値段】38

第38話【それは私の傍にある大切な“幸せ”】



これって私、死ぬのかな。
ざわつく人だかり、距離をとって広がる人並み。私のバックが目の前に転がっている。
雪に伝わる赤い水滴がぴしゃぴしゃと生きたいと願う。

――運ないなぁ……ついてないなぁ。わたし

流れ落ちる涙。くだらないと笑う唇。私はやっぱり駄目な女だ……。
死ぬことよりも、何よりも私は伯父さんと拓也の家族、そして拓也本人に迷惑がかかることをその場でひどく怖れていました。
まだ私は、取り巻く大切な幸せに、ちゃんとお礼の言葉すら伝えていないのに……。

私が、両親を無くしたのは、小学校に入学したその次の日。
まだ小さかった私は、上級生の迎えで小学校へ登校する。父はその日はお休みで私が出かける直前まで寝ていた。
母は、心配そうによろしくねと私を見送る。
班長旗をもったお姉さんが私の手を掴み2日目の小学校へ向かった。

登校中に後ろを歩く男の子が私のランドセルを指差して言った。

「なんで、加賀谷さん、ランドセルピンクなん?」

私は、それに嬉しそうに答えたのだ。

「このランドセルね、ママのなの」
「すげぇ。おさがりなのに、綺麗じゃん」
「えへへ」

優しい年長の男の子はそう言ってくれた。皮を張り替えて艶めくランドセルは、みんなとそれは色が違ったけれど、優しいママの香りがして、それが逆に嬉しかった。黄色い蛍光色のカバーをつけて、ある程度の軋みや汚れはあるものの、とてもお下がりとは思えないほどに綺麗だった。

――いずみ、このランドセルはね、ママの宝物なの、大事に使ってね

優しい母。優しい父。兄弟には恵まれず私は一人っ子だった。
このときは、そう。むしろ会話することが好きで、誰とでもしゃべりたくて仲良くなりたくて、無邪気な女の子だった。学校が終わり、家に帰るといつもあいているはずの家が閉まっていて、鍵をもっていない私はずっと玄関の前で座っていた。
日が暮れて、暗くなる夜道がなんかすごく怖くなってきて震えて泣いた。
何かの因果だろうか……父と母は、その日午前中に気まぐれにドライブで出かけた高速道路で大きな事故を起こし即死。
玄関で小さくなっていた私を抱きかかえるように“大丈夫だ”と声をかけたのは、叔父の諸田さんだった。
受け入れられずに泣いた。一生分の涙をそこで流したんじゃないかと思えるほど、一人きりで。

小学校に行くようになったのは、それから半年もしてからのこと。
ずっと塞ぎこんでいた私を担任の先生や叔父が全力で心配してくれた。
半年もたつと、クラスでは正直友達は作りづらい。私も少しずつだけど前向きにそのことを考えられるようになっていた。すごく、きっと叔父さんが優しかったからだ。

親代わりとなり叔父が私を引き取ってから、少しだけ家が遠くなった。でも子供ながらにあの元の家には居れないなっていうのは理解していて、だんだん、叔父さんに悪い気持ちになってきて、心配させないように弱みを見せることをしなくなり、一人でも頑張って生きていこうと心に決めた。

2年にあがると、事情を知らない子達がクラスに交じり、私をいじめの対象にした。
ぜんぜん、気にしてなかった。ランドセルの色が違う? だからなに?
あの子は、両親を亡くして不幸なかわいそうな子なんだ。そう思われるより遥かに良かった。
だれも私のことをわかってくれる人はこの中にはいないって思ったからだ……。

私は、一人で高いところに上るのが好きで、ちょっと風に当たりたいときとかにそこへ行った。
日々めんどくさくなるイジメ。何かと強制される会談。もはや諦めているのでそこまで気にしてもいないが、やっぱりどこか心が窮屈さに悲鳴をあげようとしている。

「……」

目線を感じる。
私をただ見ている目だ。じっと安全なところから見ているだけの瞳。
私の世界に、そういうひとはいらない。優しい両親の思い出と今の大切な幸せの部分があればそれだけで私は良いと思っている。

でも……心は何度も、何度も割られていく。
息を吸うたびに意図も簡単に。

「赤くしてやったぜ! ぎゃはは」

ある日、私の大事なランドセルが、赤いチョークで色を塗られていじめっ子にひどく汚された。
拭けばいい……たいした事じゃない。ランドセルを奪い返してその日はずっと目につく場所に置いていた。
帰り道に、公園の水道でハンカチを濡らして、お気に入りの材木工場の積み重なっている材木の上に座り、なんどもランドセルを拭いた。
もとあるランドセルに戻った。ざまあみろって思った。直るんだって思ったら頑張れた……。
でも……守ってあげれなくて「ごめんね」と。勝手に声が漏れた。

ガササッと突然ブルーシートを踏む音が鳴ってそっちを見ると、クラスの男の子がいた。
あの目だ。あの……私をただ見ている目だ。

「おい! なんで! お前いじめられてんだよ! そうやって、黙ってるから、いじめられるんだぞ!!」
「……」
「ランドセルくらいみんなと同じの買ってもらえよ!」

なんかその子のいってる意味がわからなくて、私はただランドセルを守るように抱きかかえて言った。

「このランドセル……もらったの。とっても大事なの……」
「なんだよ! 大事って……いじめられてもいいのかよ!」
「……うん」
「ずっと言われるぞ?」
「……ぅん」
「……お前、バカ?」
「……そかも……」
「し、しらねぇかんな! 俺」
「いいよ……大丈夫」
「もうしらねぇ!! じゃあな!」
「……ばぃばぃ」

怖かった。あの目で心を見られているような気持ちになった。

――もう、放っておいて……

それから数日がたち、あの子が柚木拓也という名前だということを覚えた。
家がすごく近くて、登校は別の班だったけれど、すぐ歩いていけるような距離に住んでいると知った。
そして、あの日。
お昼休みが終わって次の授業の国語の教科書をロッカーに取りに行くとき、私のランドセルが無くなっていた。
私はすぐに探したけれど、結局授業が始まるまでわからなかった。犯人はわかっている。
あのいじめっ子達だ。授業が終わったら勇気を出して聞こう!そう決めた。

先生が教室へ入ってくる。頭をつかまれ無理やりに教室へ入れられた男の子。
先生が持っていたのは、私のランドセルだった。
ボロボロになったランドセル。歪む眉。ほんとうに心というものが胸にあったなら飛び出てしまいそうなくらいに、えずきそうになった。それをじっと我慢している。
昼休みにグラウンドに転がっていたのだという。きっと地面に引きづったりしたのだろう。
多くの傷と砂が交じり合った色で、子供ながらにその状態は見るほど悲惨だった。
いじめっ子が言うに、そこまで傷だらけになるとは思わなかったと言う。
使えなくは無い状態ではある。ある程度拭かれたそれはある程度は綺麗だ。でもあの鮮やかに目立つピンクでは無くなっていた。
……先生にげんこつをくらい叱られ泣く主犯の男子。
それを見て、やるせないきもちに教室のみんながとうとうなった……それ以降いじめは無くなった。

すぐに呼ばれた叔父が、私に言った。

「新しいの買うからな」

すぐに私は、叔父に言った。

「いらない。これがいいの……大丈夫」

帰り道私は、あの材木の上で一人佇んでいた。もうどうでも良くなったのかもしれない。
一人で居たいのに……なのに……またあの目だ。あの優しすぎる目……。

「ごめん……」
「なんで……柚木君が、あやまるの?」
「いや、なんか……ごめん……」

距離ある位置でたってこちらを見てごめんと言葉をこぼした少年。
近寄って積み重なった材木の上で柚木君が私の事で気にしてくれた。
私は、悔しくて大きく泣て叫んだ。

「えーん。すごくすごく嫌だったよー!」と。

そして、それを聞いて柚木君もとなりでうずくまるように泣いた。
次の日。私は驚いた。
みんながまだピカピカのランドセルを持っている中で気まずく私は傷だらけのランドセルを背負う。
でも、なんでか、もう一人すごく傷だらけのランドセルを背負った男の子がいた。
私は、それを教室で見るや、言葉を無くした。
傷だらけのそのランドセルを背負って私に声をかけたのは拓也だった。
そして得意げに言ったの。

「加賀谷さん。これで、もう、ひとりきりじゃないだろ?」

ぼろぼろと私は泣いた。

――わざと傷だらけにしたの……?

あんなに……昨日まであんなにピカピカだったのに……。

「バカでしょ……お母さんに怒られちゃう……」
「すっげぇ。怒られた。兄貴のお古のほうが綺麗なくらいだぜ。あはは!」
「……」
「でも、かっけぇし。こっちのほうが」

イジメも無くなって、親友と呼べる友達ができた。
伝わらないことなんて何一つもないんだって思って私は少しだけ言葉を頼りに生きるようになった。
傍にあるものを大事にしようって思った。


続く→第39話【友人の恋を応援する“幸せ”】

【別れの値段】37

第37話【それは傍にある大切な“空気”】


独特のあの病院のアルコールの匂いすら感じないほどに吐く息が荒ぶる。
病院の廊下は冷ややかさを伝えるようにねずみ色にくすんでいて、窓から差し込む夕日が逃げるように暗くなって、遠く手術中と赤く光るランプが反射した。

「なんで……どうして……」

事故は、飲酒運転。営業先へ訪問するために歩道を歩いていた彼女を無惨にも撥ねたという。

「ふっざけんなよ……嘘だろ……」

大破した車の中で、その飲酒運転をした男の人も窮地の状態で別の病院に運ばれていた。

「えっと、柚木さんですか?」

一人のナースが僕の母に話しかけた。母はその話を受けながら、いずみの状態を聞いている。
僕と母が来た理由は、いずみが持っていた財布に入れられていたメモにうちの連絡先が書いてあったからだ。
いずみは、妹のようにいつも僕の家に遊びに来ていて、よく夕飯も食べにきたり、母自身、きっと僕といずみは、いつか結婚するのだと誤解しそれをなぜか確信するほどに深い付き合い方をしている。
母は、女の子供が欲しかったこともあり、まるで自分の娘のようにいずみに接していた。
そのせいもあってか、いつしか妹のように我が家に居る事があたりまえにあった。

「電話でもお聞きしましたが、加賀谷さんのご親戚の方とは連絡がつきますでしょうか?」

母は、気が動転しながらも僕を向いて、それをしっているかを聞いた。

「拓也、わかる?」
「……」

長椅子に座って、まだその状態を受け入れられていない僕に、母は、なんども聞く。

「拓也! 聞こえてるの?」
「……あ!……ああ。ごめん、あいつの親戚の連絡先は携帯がないから、わからないけど、いずみの携帯ありますか?」

持っていた所持品のいずみのバックから携帯を取り出す。

「携帯は、私も見たんですが、ご両親などの連絡先は無くて……」
「いないんです……あいつ。両親……」

携帯で名前を探しながら僕はそうつぶやいた。
携帯で探し出したのは、“諸田”というひと。
いずみの育ての親にあたるひとだ。
すぐに受付の事務の人に携帯がわたり、いずみが事故にあったことを伝えた。

――諸田さんはすごくいい人だ。すぐにでも心配して駆けつけてくれることだろう

どういう状態なのか知りたいのに……怖い。
ただ、わかるのは非常に良くない状態で運ばれたって事。
生死が分かれるような大掛かりな手術を行っているという現実。

「助かるんですか?……いずみちゃんは!」

狂ったように母は、通りがかるナースに聞いてまわる。
僕は、震える手をおさえるだけで、響く言葉すら入らない。
ただ、廊下に反射する赤い色が消えるのをじっと待つしかなくて、10分もせずに、すぐに駆けつけた諸田さんが、事情を把握して、僕の横に座った。

「拓也君……君は立ち会ったのか?」
「いいえ……」
「いずみは、どういう状態なんだ?」
「わかりません……でもいま……頑張ってる……きっと……」


それから何時間経っただろう。とても長い……時間だった。
諸田さんに預けられた、いずみのバック。なんどか見た事がある仕事用のバックだ。
薄くなるのがわかる。だんだん“その空気”が薄くなっていく気がする。
傍から見て、僕が母以上にショックをうけているのがわかっている諸田さんは、自分の悲しみを他所に、僕の頭をぽんぽんと撫でた。

「だいじょうぶだ……だいじょうぶ」

何度も何度も……ぽんぽんと。

――いずみ……どうか、命だけは……

面会が終わる21時の院内放送が遠くで鳴り始まる。すでに4時間が過ぎようとしている
出たり入ったりする看護師。輸血や、救急救命にあたる検査師。
もう……なにがなんだか、わからないよ……いずみ。
だれか……神様。助けてあげて欲しい。


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突然にどごんと大きな音が聞こえて、コンマ2秒無い刹那。
私は、路肩の壁に打ちつけられた。

ああ……なんか私に何かとんでもないことが起こったんだなって……思った。

意識が遠退いていくのがわかる。
まだ、スーツも買ったばかりなのにな……とかなんで、私は地面に伏せているんだろうとか。
普通に疑問に思いながら、どうしてか涙がでた。
集まるひとが声あげて、救急車!!と言ったのが聞こえた。
恥ずかしいな……やだなぁ。救急車乗るの。でもきっとこれは駄目なパターンだ。

意識がどんどんどんどん遠退いていく。
走馬灯ってほんとにあるんだっておもったらさ、なんか懐かしい思い出とか出てきて。
辛かったこととか、楽しかったこととか……全部思い出すんだ。

――拓也……怒るかなぁ……嫌だなぁ……



続く→第38話へ【それは私の傍にある大切な“幸せ”】

【別れの値段】36

第36話【どうして人は別れるのか】



通り抜ける風。恐ろしく冷たい風。
でもどこかで知っている“懐かしい”だ。
そういえば、季節は違うのだけれど、懐かしい風の事を思い出した。
僕が、小学校にあがったときの話だ。

歳の離れている兄の使っていたランドセルを使いなさいと母に言われ、それがただ嫌で、必死で泣いたのを今もまだ覚えている。ちっちゃいころの思い出。

「拓也、お兄ちゃんのじゃ駄目? お兄ちゃん綺麗に6年間使ったのに……」

確かに今思うと大した事じゃないんだけれど、僕はただみんなと違うのが嫌だった。
6年間背負ったベルトはひび割れている。いくらそういう綻びは、綺麗に戻せるんだよと説得されてもただただ、僕はそれが、嫌だったんだ。

大声を上げて親父が帰ってきてから泣いたこと。大きな手でポンポンと頭を撫でて父が言った言葉。

「大丈夫だ。新しいの買ってやる。安心しろ、拓也」

涙がそのままうれし涙に変わり、時にして近寄りたくも無いほど、怖い親父がカッコいいヒーローのように思えた。子供ながらに持ちかけられた駆け引きにも気がつくことはない。

「パパったら……でも、これから使うことになる、ひきだしとか書道の道具はお兄ちゃんの使うのよ?」
「はーい」

母に言われたその駆け引きは、対した事無いように思えた。
普通の子供だろう? どこにでもいるような単純な子供だった。
背負った新品のピカピカのランドセルはとても重くて、なんかとてもかっこよかった。

やがて、小学2年になった。友達も作れるようになった。
まだランドセルは綺麗だ。そんなときのこと。
学校にさ、一人くらいいるだろう? ランドセルの色が微妙に違う女の子。
赤くない……朱色のような。でも周りが赤いと不協和になって、それがイジメになるんだ。
1年生のときは、黄色いカバーをランドセルにつけられる為そこまで違いは感じなかった。
2年にあがると、その黄色いカバーやぶれたり、通学路にも慣れる為、外される事が多々ある。そのなかピンクのランドセルはすごく目立った。

子供にとっちゃ、ほんの些細なことなんだよ……。
無口な子がただ、一方的に責められたり。ほんの些細な違いが、如実にわかる年齢なんだ。
今の時代、そこまで無いだろう。むしろ、一人だけ違うほうがカッコいいのかもしれない。
そう言える子供は強い。でも……。

――お前の母ちゃんいないんだってな!! 
――馬鹿にすんなっ! 

そうやって言い返せる子が一番傷ついていたりする。
ランドセルが一人だけ違う色なだけで、ひとりになっているその子を僕はずっと見ていた。

「おい、加賀谷! お前のランドセル、ピンクでエロくねぇ?」
「……」
「なんで色違うんだよ~。へんなのー。そういうの痴女っていうんだぜ~」
「……」

黙り込んでその言葉に一言もしゃべらずに歩き出す。
覚えたての悪口を誰かに対して言いたくなる気持ちわからなくもない。
それが悪口だって事さえなんとなくわかっていれば、たとえ使い方が間違っていても心が傷つくんだ。そういうことに女の子ってのは男よりも敏感で……。でも言い返すのはもっとイケナイ事だって知ってる。
だから、その場から逃げるしかない。
だが、その頃の僕は、そこまで考えてない。目の前で虐められている子がいた。いや、性格にはその子が虐められているという事すら理解していなかった。
僕は、思った。

――あぁ……ランドセルが新しいもので良かった

そうやって周囲の作る“違い”の大波から避けれたことに、ホッと感じた。
だんだん、目に付くようになる。内心、気にしていたのだろうか……いや違う。
彼女のピンク色のランドセルだけがチラチラ目に映り気になっただけだ。
徐々にいじめって言うのは、広がってエスカレートしていく。
同姓の女の子ですら近寄らなくなって、孤立する。
ざわめく教室に一個のピンク色のランドセル。

「赤くしてやったぜ! ぎゃはは」

ランドセルに雑に塗られた赤いチョーク。同室でのその光景を僕はそれを見ているだけだった。
周りの子と一緒にそれを、笑いもせず、ただそのランドセルを無言のまま見つめる、その少女を僕は見ていた。
さすがに、先生にそれはバレた。でも、注意したところで、イジメはそういうことじゃなくならない。
今は多くある、こども相談室も無い頃の話。すごく淡白な時代。

その日の帰り道。材木工場の裏の空き地、そこに木材がおおく並ぶところがありアスレチックみたいになっているところがあった。もちろん入ったらいけない場所なのだが、その積み重ねられた何千枚もの材木の上に座っている彼女を僕は見た。子供達にとってはバレなければ基地である。しかし、その上に堂々と彼女は座る。
彼女は、ランドセルに書かれたラクガキを丁寧にハンカチで拭いていた。
いくらチョークとは言っても薄く残る。僕は、なんか、その涙一つ流さない彼女がすごく凛々しく思えた。
薄く残ったラクガキの後を見つめて、彼女は言った。

「ごめんね……」

僕は、彼女の言葉を始めて知った。
僕は彼女にひと言、言いたくなってその材木を上る。
乾いた材木にかけられたブルーシートがパタパタなって、その材木の上は、これから来る夏の温かい風をまぜて気持ちが良かった。小学生には比較的高い場所だ。

「おい! なんで! お前いじめられてんだよ!」
「……っ!」

突然に僕が話しかけたもので、彼女はきょとんと僕を見つめた。

「だから、なんで、言い返さないんだよ!! あんなことされて嫌じゃないのかよ!」
「……」

ぶっきらぼうに言う僕を彼女はじっと見ているだけだった。

「そうやって、黙ってるから、いじめられるんだぞ!!」
「……」
「ランドセルくらい買ってもらえよ!」
「……」

そう。この一方的な真っ直ぐ過ぎる言葉が、思えば、僕とその子……“加賀谷いずみ”との始まり。

独特のすっぱい木材の香りがだんだんと空気に交じり合う。
そんな中で彼女は、言葉を発した。

「このランドセル……もらったの。とっても大事なの……」

大事そうにぎゅっと抱え込むように彼女は言った。

「なんだよ! いじめられてもいいのかよ!」
「うん」
「ずっと言われるぞ?」
「……ぅん」
「……お前、バカ?」
「……そかも……」
「し、しらねぇかんな! 俺」
「いいよ……大丈夫」

イライラする。イライラする。イライラする。
ほんとにほんとにほんとにイライラした。

「もうしらねぇ!! じゃあな!」
「……ばぃばぃ」

駆け下りた木材。けして僕はヒーローにはなれない……。
本当に嫌なことはちゃんと言わないと駄目なんだ!
思い切り振りかぶった足で蹴り飛ばすように道端の小石を僕は蹴ってそれを追わなかった。

次の日、また次の日。2週間くらい変わらない悪戯の虐め行為は続いて、一向に変わらない教室。
見てみぬふりでいる子。いじめっ子が怖くて言えない空気。
それを嬉しそうに楽しむいじめっ子達。
でも、その子供の考える“この程度なら”の思いつきで取り返しが付かないことが事態が起こった。

先生が、教卓に持ってきたのはボロボロになったランドセルだった。
昼休みにグラウンドに転がっていたのだという。きっと地面に引きづったりしたのだろう。
多くの傷と砂が交じり合った色で、子供ながらにその状態は見るほど悲惨だった。
いじめっ子が言うに、そこまで傷だらけになるとは思わなかったと言う。
使えなくは無い状態ではある。ある程度拭かれたそれはある程度は綺麗だ。でもあの鮮やかに目立つピンクでは無くなっていた。
……先生にげんこつをくらい叱られ泣く主犯の男子。
それを見て、やるせないきもちに教室のみんながとうとうなった……。

きっと僕だけだっただろう。
怖がりうつむく教室の生徒の中で、きっとその時僕だけが……彼女の顔をじっと気にして見つめていた……。

――なんで……なんで……泣かないんだ
――だから、言ったのに……

彼女は、涙をこらえて、必死で耐えた。

「大丈夫です……」

そう言って、彼女はランドセルを大事そうに抱えて席に着いた。
先生に叱られたこともあったが、それ以上に、僕はすごくいたたまれない気持ちになった。

――そういえば、あいつ……大事って言ってた気がするな……

その日の帰り道で。
ふと見上げたあの材木の上。その場所にまたあの子は佇んでいた。
僕は、そのまま彼女に駆け寄った。
冷たい風だ。もうすぐ夏なのに恐ろしく冷たい風。
そして僕は、彼女に謝った。

「ごめん……」
「なんで……柚木君が、あやまるの?」
「いや、なんか……ごめん……」

彼女は泣いた。
大きく泣いた。すごくすごく嫌だったよー!って泣いた。
そして、それを聞いて僕も泣いた……。
傷ついたランドセルにこぼれた涙が流れたそのラインだけが綺麗なピンクになるように、大粒の涙が零れ落ちた。
僕のランドセルが、なんかその場所では、ぼくのランドセルだけがピカピカですごく嫌だった。

これは、僕の思い出だ。
それから、彼女。加賀谷いずみとの幼馴染の付き合いが始まる。

いずみは、言うなら僕にとって空気のような女だ。
そこにあって当たり前のように自然で、そしてなんでも話せる大事な友人。


そして、店のドアがいきおい良く開く。
一気に入れ替わる店の温度。吹き入る風。
ガランガランと響く声。

「拓也!!」
「え!?」

聞き覚えがある男の呼び声に僕は振り向くと、そこには血相を変えて店に飛び込む母がいて、店の前には黒いタクシーが一台駐車場に雪轍をつくり留まる。
母にはここでアルバイトをしていることは話したけれど……。

――あぁ……そっか。携帯電話、家に忘れて来たんだった……

「なにしてるの!? 拓也! 早くタクシーに乗りなさい!」
「え? どしたんだよ」
「いずみちゃんが! はやくとにかく乗って!」


なにもわからぬまま、心配そうに見つめている千佳を背にタクシーに乗り込む。
車内で聞かされた事。震えるように母は僕に告げた。

「いずみちゃんが……事故にあったのよ」

その瞬間、僕が真っ先に思い浮かんだのは……想像してしまったのは……。
『別れ』の二文字だった。



つづく⇒第37話【それは傍にある大切な“空気”】

【別れの値段】35

第35話【Price parting.】


あれから……。
葉桜が来たあの雪の日から、幾日かが過ぎて、少し寒さが和らいできた頃。
ようやく千佳は、絵を描き終えた。
絵は、そこまで大きいものではなかったけれど、厚く塗られた奥行きのある絵で、うまい下手がわかるような僕じゃないのだけれど、心がこもったいい絵に見えた。
雪が降ったなんて思えないほどに強く生き生きとしていて、見ているとなんだか落ち着いた。
絵は完成して額にいれられ、あのおばあちゃんの家に大事に飾られた。
名前も知らない出会いが形になることがあるんだなと、僕はその絵を見ながら笑みをこぼした。

千佳は、店をすぐに復帰した。僕は、千佳に会いたくてこの店に来ている。
そう。あの死ぬほど辛かった別れの気持ちはすでに無く、心から千佳だけを求めていた。
なにかもっと、彼女のためにできないものかと必死に考えた。
けれど、僕にはこの店に店員のアルバイトとしている存在しか……そういう立場でしかいることができなかったのだ。
もうすこし若ければ、“俺と付き合いませんか?”と素直に言えただろうか。
あの横顔、お茶を入れる指先、靡くまっすぐな髪、見ているだけで幸せで、見ているだけで辛くなる。
絶対的に感じる距離感を僕は、自分で持ち続けている。

“人間万事塞翁が馬”ということわざがある。
結果が出るまで、幸福か不幸かなんて誰にもわからないという意味をたとえた中国のことわざ。
シュレディンガーの猫という話がある。
見てないものには次元が存在せず、結果が存在しないというものだ。
箱に入れられた猫が、死んでいるのか死んでいないのかわからない場合、その猫は、常に枝分かれの運命に取り残された半分生きていて半分死んだ存在であるそういう心理学的な話だ。
二つのことは近いようで異している。まったく逆のことを言っている気がする。
でも、確かだなとおもうこと。
きっと人間ってそれだけ、もろい心を携えていて、結果をみた瞬間に自分に訪れる不幸を何よりも創造してしまって、その恐怖を、ただ怖れるのだろう。
遠いんだ……。すごくすごく遠い。
出会って、恋をするまでは光のように早いのに。
恋をしてからのその後が……計り知れない遠い距離にあるんだ。

「千佳さん」
「どうしたの? 拓也君」
「俺、この店好きです」
「ふふ。ありがと」

葉桜の来店後、何人かの客が来た。僕は、後ろで雑誌片手にその話を聞き、千佳が丁寧にその別れの品を買い取った。
思えば、僕はこの店に来て物に金額を付けたことがない。それどころか、その物自体を受け取ることを躊躇ってしまうのだ。千佳の接客を見ていると思うことがある。
驚くほどに淡々と話を聞いて、500円、2000円と値をつける。
それが、僕にはできない。

――それはそれは。すごくたいへんだったでしょう……では、この指輪は5000円で買い取ります
――え? 5000? あ、その……
――では、7000円で。
――ぁ……えっと……はい

その話を聞いているときの千佳は目線を一切そらさずに客を見る。
でも、いつも・・・値をつけ、客が帰った後に泣いている子供を慰めるようにその別れの品を辛そうに見つめていた。

――素敵な、指輪なのにね……もうすこしだったね、ごめんね

買いとった指輪を見つめて、千佳はそう言った。
接客しているのが、僕だったら指輪はきっと買い取らない気がする。
そのなんとも感じる矛盾が、僕がこの店に存在する違和感を感じさせるんだ。
ふと、過ぎった疑問があった。僕はそれを千佳に聞いてみた。

「千佳さん」
「なに? 拓也君」
「一度買ったものを、返して欲しいとまた来る人っているんですか?」

そういえば、今までそういう人を見た事が無かったのだ。
居てもよさそうなのに……。

「いないよ。一人も居ない」

千佳は、そういって、指輪を大切そうに棚に並べた。
一人も居ないなんてことがあるのだろうか。だって、一度売ったものが大事だったと思い直すことが無いのだろうか。

「不思議?」
「え、ええ」

釈然としない顔を浮かべていた僕に千佳が気がついて答えた。

「理由は二つあるの」
「二つ?」
「そう」
「えーっと……」
「一つ目の理由はね、私が思うにこの店が“在って無いもの”だからだと思う」
「未練を残さないってことですか?」
「うーん。ちょっと違うかな」

――在って無いもの……か。

千佳は、立ち並ぶ商品を前にして言った。

「だいじなものを小さな箱に入れて、ほかの人に土に埋められたらわからなくなるのよ……ここは本来そういうお店なの」

売って、思い悩んだ末に、気がついて取り戻そうとしたとき。
この店に自分のものが並んでいて、値段も、名前も、価値も何一つとして飾られず、ただ置かれているものを見て、本当に自分のだいじなものだったと気がついたとき、それは、すでに遅いのだ。
一度手元を離れたら、その存在自体が消えるように。

「だから……拓也君は、すごいんだよ……」
「え?」

千佳はそれ以上は言わなかった。
二つ目の理由も気になったのだけれど、千佳はそこで話を終えて店を閉めると言った。
誰かにわかるだろうか。二人でいて、幸せなのは僕だけなんだ。
千佳は、僕を見ていない。もっと慈悲に覆われたはるか上空から僕を見て、その距離で僕から近づくことができない距離にいるんだ。

「千佳さん……」
「ん? どうしたの? 拓也君」
「俺、千佳さんのこと……」

千佳が僕を見つめて、すこし悲しそうな顔を浮かべた瞬間。
そのときだ。その瞬間。まさに今、僕がその結果を知ろうとした直後……。

店のドアがいきおい良く開く。
一気に入れ替わる店の温度。吹き入る風。
ガランガラン。

「拓也!!」
「え!?」

聞き覚えがある男の呼び声に僕は振り向いた。
そう……運命は、けしてそれを見るまで決まらないのだ。



続く⇒36話へ【どうして人は別れるのか】

【別れの値段】34

第34話【雪凪げ】


返信は遠い。
一瞬で地球を半転し先輩に届いた事実など僕は考えもしなかった。
いまもまだ蜃気楼のようにすぐそこを彷徨い、道草すらしていくかのような、そんな果てしないゆっくりとした速度で届いていくような気がした。
葉桜はメールを送り、携帯を売ることをやめて大事そうに二つの携帯を胸に抱えている。
火照る指先に流れたものは葉桜が流した涙で、鳴らない携帯に伝わる雪の匂いだけがどこか感じたことがある、その香りに少しだけ似てるような気がした。

「いい先輩だったね」
「うん」

いい思い出となった先輩を思い出すように、何度も何度も葉桜は僕の言葉に頷いた。
これから、どうするのかとか、それは葉桜自身の問題で、僕はただ話を聞いて気持ちを探っただけ。
色を消した外の景色。本来あるはずの橙の看板や鮮やかな自転車の色、泥のようなアスファルトや雲の上に鮮やかに輝く圧倒的な夕日すら、感じないほどに圧倒的な白で覆われている。

「思い出って色褪せるって言うけどさ、ほんとは覚えてたりするんだ」

不意に言いたくなったっていうか、意味ある事じゃない。
僕は、感じたことをすぐ口で言うところがあって、まったく根拠の無いその空想世界を理想として求めていたりする部分があるから。言うなら、ナルシストで空想を求める理想派。
言葉でしっかりと伝えることができないのに伝えることに必死なエゴイストだ。
突然話を始めて、【はっ?】と相手に思わせることが癖づいてしまっている。
自分の世界で生きている人間だから、きっと一人の女性すら過去に愛しきることができなかったんだろう。

「気にしないで。なんかふと出た独り言だから……」

伝えたいことを一言で感じ取ってほしいと言うのは、優しい人間ではない。
葉桜は、僕にある最も理想の女性で、最も心から愛した人で、でもそれは過去の妄想。

――言ったろ? 人生最大の恋は叶わない。叶わないから貴く美しい恋で在り続けるのだ

僕は、千佳のことが好きで、大好きだ。
葉桜のこともきっと好きなのだろう。でもすでに僕はあの頃の僕ではない。
雪凪は、刹那。無くなったあの頃の色を思い出させたに過ぎない。
だから、もうあの頃の夢は僕はきっと……見ないのだろう。

葉桜は泣き止む頃には不思議と雪も止み始めていた。
ごめんなさいと言って僕の袖を離し、染み渡ったハンカチと携帯をバックへと戻した。

「ごめんね、柚木君。売るのは、また今度にするね」
「ああ」
「ごめんね、ほんとにありがとう」
「俺は、なにもしてないよ」
「うそ……嘘だよ。いつも応援してくれてた」
「また……おいで」
「うん!」

そう言い残すと、葉桜は、僕に笑顔と、連絡先を残して店を立ち去って行ったのだ。

*****************************

第4章 完


最終章へ続く→第5章『Price parting.』











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