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【別れの値段】35

第35話【Price parting.】


あれから……。
葉桜が来たあの雪の日から、幾日かが過ぎて、少し寒さが和らいできた頃。
ようやく千佳は、絵を描き終えた。
絵は、そこまで大きいものではなかったけれど、厚く塗られた奥行きのある絵で、うまい下手がわかるような僕じゃないのだけれど、心がこもったいい絵に見えた。
雪が降ったなんて思えないほどに強く生き生きとしていて、見ているとなんだか落ち着いた。
絵は完成して額にいれられ、あのおばあちゃんの家に大事に飾られた。
名前も知らない出会いが形になることがあるんだなと、僕はその絵を見ながら笑みをこぼした。

千佳は、店をすぐに復帰した。僕は、千佳に会いたくてこの店に来ている。
そう。あの死ぬほど辛かった別れの気持ちはすでに無く、心から千佳だけを求めていた。
なにかもっと、彼女のためにできないものかと必死に考えた。
けれど、僕にはこの店に店員のアルバイトとしている存在しか……そういう立場でしかいることができなかったのだ。
もうすこし若ければ、“俺と付き合いませんか?”と素直に言えただろうか。
あの横顔、お茶を入れる指先、靡くまっすぐな髪、見ているだけで幸せで、見ているだけで辛くなる。
絶対的に感じる距離感を僕は、自分で持ち続けている。

“人間万事塞翁が馬”ということわざがある。
結果が出るまで、幸福か不幸かなんて誰にもわからないという意味をたとえた中国のことわざ。
シュレディンガーの猫という話がある。
見てないものには次元が存在せず、結果が存在しないというものだ。
箱に入れられた猫が、死んでいるのか死んでいないのかわからない場合、その猫は、常に枝分かれの運命に取り残された半分生きていて半分死んだ存在であるそういう心理学的な話だ。
二つのことは近いようで異している。まったく逆のことを言っている気がする。
でも、確かだなとおもうこと。
きっと人間ってそれだけ、もろい心を携えていて、結果をみた瞬間に自分に訪れる不幸を何よりも創造してしまって、その恐怖を、ただ怖れるのだろう。
遠いんだ……。すごくすごく遠い。
出会って、恋をするまでは光のように早いのに。
恋をしてからのその後が……計り知れない遠い距離にあるんだ。

「千佳さん」
「どうしたの? 拓也君」
「俺、この店好きです」
「ふふ。ありがと」

葉桜の来店後、何人かの客が来た。僕は、後ろで雑誌片手にその話を聞き、千佳が丁寧にその別れの品を買い取った。
思えば、僕はこの店に来て物に金額を付けたことがない。それどころか、その物自体を受け取ることを躊躇ってしまうのだ。千佳の接客を見ていると思うことがある。
驚くほどに淡々と話を聞いて、500円、2000円と値をつける。
それが、僕にはできない。

――それはそれは。すごくたいへんだったでしょう……では、この指輪は5000円で買い取ります
――え? 5000? あ、その……
――では、7000円で。
――ぁ……えっと……はい

その話を聞いているときの千佳は目線を一切そらさずに客を見る。
でも、いつも・・・値をつけ、客が帰った後に泣いている子供を慰めるようにその別れの品を辛そうに見つめていた。

――素敵な、指輪なのにね……もうすこしだったね、ごめんね

買いとった指輪を見つめて、千佳はそう言った。
接客しているのが、僕だったら指輪はきっと買い取らない気がする。
そのなんとも感じる矛盾が、僕がこの店に存在する違和感を感じさせるんだ。
ふと、過ぎった疑問があった。僕はそれを千佳に聞いてみた。

「千佳さん」
「なに? 拓也君」
「一度買ったものを、返して欲しいとまた来る人っているんですか?」

そういえば、今までそういう人を見た事が無かったのだ。
居てもよさそうなのに……。

「いないよ。一人も居ない」

千佳は、そういって、指輪を大切そうに棚に並べた。
一人も居ないなんてことがあるのだろうか。だって、一度売ったものが大事だったと思い直すことが無いのだろうか。

「不思議?」
「え、ええ」

釈然としない顔を浮かべていた僕に千佳が気がついて答えた。

「理由は二つあるの」
「二つ?」
「そう」
「えーっと……」
「一つ目の理由はね、私が思うにこの店が“在って無いもの”だからだと思う」
「未練を残さないってことですか?」
「うーん。ちょっと違うかな」

――在って無いもの……か。

千佳は、立ち並ぶ商品を前にして言った。

「だいじなものを小さな箱に入れて、ほかの人に土に埋められたらわからなくなるのよ……ここは本来そういうお店なの」

売って、思い悩んだ末に、気がついて取り戻そうとしたとき。
この店に自分のものが並んでいて、値段も、名前も、価値も何一つとして飾られず、ただ置かれているものを見て、本当に自分のだいじなものだったと気がついたとき、それは、すでに遅いのだ。
一度手元を離れたら、その存在自体が消えるように。

「だから……拓也君は、すごいんだよ……」
「え?」

千佳はそれ以上は言わなかった。
二つ目の理由も気になったのだけれど、千佳はそこで話を終えて店を閉めると言った。
誰かにわかるだろうか。二人でいて、幸せなのは僕だけなんだ。
千佳は、僕を見ていない。もっと慈悲に覆われたはるか上空から僕を見て、その距離で僕から近づくことができない距離にいるんだ。

「千佳さん……」
「ん? どうしたの? 拓也君」
「俺、千佳さんのこと……」

千佳が僕を見つめて、すこし悲しそうな顔を浮かべた瞬間。
そのときだ。その瞬間。まさに今、僕がその結果を知ろうとした直後……。

店のドアがいきおい良く開く。
一気に入れ替わる店の温度。吹き入る風。
ガランガラン。

「拓也!!」
「え!?」

聞き覚えがある男の呼び声に僕は振り向いた。
そう……運命は、けしてそれを見るまで決まらないのだ。



続く⇒36話へ【どうして人は別れるのか】

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