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【別れの値段】1話

【別れの値段】 作:小織 悠


「私が別れようって言ったらどうする?」

憎ったらしいほどに幸せそうな可愛い表情で彼女は僕にそれを聞いた。
その時感じたこの言葉の意味には、実は深い意味はなかったのだろう。
めんどくさいやり取りに感じたそれは、ただ互いの思いやる気持ちを確かめ合うだけのものだ。
かと言って相手にしない理由はなく、それでお互いに好きだって言う気持ちをほんの少しだけ実感できるのは、普段から忙しいと偽る僕にとっても大事なことだったのかもしれない。

「僕は、別れないよ。君が別れるって言っても無駄だよ」

その時は、これが正解だなんて不覚にも思ってしまっていた。
周りを駆ける1月の冷たい風はこれから来る未来を映し出していた。

「ねぇ。すごく寒いね」
「手をつなごうか…おいで」

手をつないで一緒に好きなことをして一緒に居る時間があっという間に過ぎるような気がして、僕は何でこんなに幸せなんだろうって本気で思った。
これから自分で本気で彼女を守っていこうって思っていたんだ。  
付き合いは深まり、気がつくと僕の周りは彼女色に染まっていて
手に取るもの、身に付けるものすべてに彼女との思い出があるんだ。
 
でも
そんな幸せは些細な環境の変化で、変わってしまう。
彼女はバイトを始めて、僕は、4月からの就職先から内定をもらった頃。
いつものような二人で居る休日を過ごして彼女の家で借りた映画を見たりなんかして、
そろそろ帰ろうかとしたとき、彼女が僕に相談という別れをきりだした。

「あのね、相談があって……あのね……他に好きな人が居るの」

呆気にとられるってのはこういうことだ。
言い訳ばかりをして、まっすぐに彼女の顔も見れず
にぎやかなバラエティのテレビの音量すら耳に入らなくなった。
やり場のない怒りを、強がって必死でこらえた事、昨日の事のように忘れることができない。

「正直どうしようか迷ったの……私の周りはもうあなたでいっぱいだし、嫌いなわけではないし、別れるのはすごく嫌なんだ。でも、こんな気持ちなのにあなたと付き合ってたらあなたは辛いでしょう?」

こういう恋の迷いを当人である僕に相談する時点で結果は見えていると気がついたし、気持ちが冷めたのだと言わないのは、彼女にも不安があるからなのは聞いてとれた。でも……きっと気持ちは変わらないのだろう。
だから僕はすぐにこう答えた。

「いいよ。別に……恋愛感情がないなら無理してまで付き合うことないよ。そのかわり、悪いけど……俺はすぐ次の恋を見つけるから。幸せにねっ」

幸せに……よくそんなこと言えたなって思う。
そういった意味じゃ唐突な別れに自分の気持ちがわからなくなったのだろう。

「……ごめんね。強がってるんだよね、傷つけてごめんね」

その言葉を聞いて、もう……言い表すことのできない敗北感を感じた。
ごまかそうとしてた執着心を隠せるはずもなくて、ひどく悲しい表情で彼女を見つめていたのだろう。

「……じゃ、元気で」

彼女の部屋にたくさんあった僕との思い出はたった一日では片付けられないほどの量だったはずなのに、その時手で持って帰れてしまうほどに薄く軽いものに変わっていた。

帰りの車の中で泣いた。
軽く降っていた雨も強まってきてフロントガラスは滲んで、
ワイパーが僕の涙も一緒にぬぐってはくれないかと思うほどに冷たいものに感じた。

どうしてももう一度声が聞きたくて
携帯電話を手にした。
すぐ電話に出てくれた彼女にどういったらいいのかわからなくて、みっともない小さな声で彼女に言った。

「僕は、別れないんだ……約束したんだよ……君が別れるって言っても僕は別れないって……だから……もう一回だけでいいんだ……考え直してほしい……」

それから彼女は、僕にあえてひどい言葉を連ねては、僕の気にしていることとか
嫌なこととかをたくさん言って嫌われようとした。そういう気持ちがすごく居た堪れなくて辛い。

「……でも、悪いのは本当に私だから。ごめんね」

――そうやってまっすぐ謝られると、もう僕はどうしたら良いかわからなくなってしまうよ。
 
「ほんとにごめんね」
「後悔するよ?」
「……しないよ。だからバイバイ」

電話が切れた後、僕は小さくため息をついてハンドルによりかかるのだった。
普段片道30分の距離は、2時間近くも遠い回り道をしていた。
涙はいつのまにか冬の空っ風に吹かれ、枯れている。

続く【2話:無常】
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